法海寺は、永禄二年(一五五九)二月二十五日に宥長法印が田場坂に開いたお寺です。当寺は湯ノ岳観音の別当寺であり、この堂宇は大同二年(八〇七)に東国に下向した徳一大師が自作の十一面観世音菩薩を安置し、開山したと伝えられています。徳川三代将軍家光公より御朱印十石を賜り、それ以来、湯長谷藩主の篤信をうけた湯ノ岳観音は野火によって焼失しましたが、永禄八年(一五六五)に岩城重隆公によって再建されました。 その後、百十余年も風雨に痛んだ堂宇は、延宝九年(一六八一)三月二十七日に遠山主殿頭藤原朝臣政亮夫人が大改修し、梵鐘、鐘楼堂を寄進し、梵鐘には湯ノ岳観音の由来を刻みました。 しかし、天宝六年(一八三五)に観音堂は焼失し、尊像は湯ノ岳から当寺院境内へと移祀され、安政三年(一八五六)に再建されましたが、文久三年(一八六三)二月には本堂とともに灰燼に帰しました。昭和十四年に観音堂は再建され、その後、向拝の増築、客殿、庫裡、鐘楼堂の改築、位牌堂の新築が進められ、同五十七年二月に完成しました。